運氣UPブログbyマーク中島

セミナーを通じて運氣UPをお届けするマークのブログです

人の運氣をあげている人が結局一番運氣があがっている(^_-)-☆

運が悪いと思ってしまっているあなたへ

自分はついていない、環境さえよければもっと成果を出せるのに…
もっと人に恵まれていたら、私はもっと活躍できるのに…
景気が良ければ、もっと会社の業績は上向くのに…

こういう考え方って、運が悪いと思ってしまっている人の共通点としてあるんじゃないかなあと思う(^_-)-☆

つまりは、人のせい、上司のせい、会社のせい、世間のせいというように自分自身ではなく、他人の責任にして生きているってこと(^^♪

ただ、以前の私もこのタイプだった(^_-)-☆しかも結構長い間(^_-)-☆

中学校の卒業文集は、日本の教育のどこが平等やねん!!って教育批判を書いていたし、高校、大学と進んでも教師や教授への不平不満ばかり。

それを選んだのは自分なんだよねって発想はなかったわけだ。

運が良いと思い込ませることも大事だよね

斎藤一人さんは、ツイてるツイてると呪文のように唱えることで、運が良いんだと思い込ませるってことが大事だと言っている、少なくともそう私は理解している(^_-)-☆

運なんてものは、目に見えるものでもないし、明確な基準があるわけではない(^^♪
人間万事塞翁が馬という故事もあるように、一件不幸だと思えるような出来事も、その後の展開次第では幸福になるし、その逆のことだってあるわけだ(^_-)-☆

という事は、自分自身の運なんてものは、自分で決めれるのではないだろうかと思う。
となると、やはり他責で生きるのではなく、自責で生きることが必須ってことになるんじゃないかなあ。

例え、最悪なパートナーを選んだとしても、それは自分が選んだという自己選択責任という世界になるわけで。
そしてその最悪なパートナーに選んだからこそ、その後の幸運だってあるかもしれない。

結局、人の運氣をあげている人が一番運氣をあげている

斎藤一人さんは、ツイてるという言葉を伝えることで、多くの方の運氣をあげている。そしてその結果、その話を聞きたい、学びたいと人が集まってくる(^_-)-☆

一番運氣があがっているのは、斎藤一人さんでしょう(^^♪

また人が運を上げたいと言って行くところはどこだろうか?パワースポットというところですよね。

例えば伊勢神宮(^_-)-☆
毎日のように遠くからも人が訪れている。それは長年続いているし、20年に一度の式年遷宮でも多くの方が関わっている(^^♪

素晴らしいパワースポットであればあるほど、そこに来られた方の運氣が上がり、結果、パワースポット自身の運氣も上がっている(^^)/

自分の運氣が悪いと嘆くなら、周囲の人の運氣を少しでも上げることを考えてみてはどうだろうか?

具体的には、何かを与えるってことだと思うよ(^^♪
お金、仕事、時間、愛情などなど♪
一番簡単にできるのは笑顔かもしれんね、笑う門には福来るとはこのことかもしれない。

全ての言葉はあいまいなんだよね(^^♪

わからないと言って立ち止まってしまうあなたへ

わからないと答えた方が、その場が収まるって思ってしまっていませんか?
わかるって答えたら
「説明してよ」
「やってみてよ」
って言われるから、わからないって答えた方が、自分のターンは終わるよね(^_-)-☆

でも、わからないが当たり前になってしまうと、おそらくあなたの脳波はわからないというゾーンにいることが当たり前になってしまうと思うんだよね。

かるという言葉があいまいなんだよ

わかるってどういう意味なんだろう?正直、僕は説明できない(笑)
辞書で調べると
事実・内容・意味がはっきりとらえられるようになる。
とあった。

とらえられるようになることがわかるという事らしい。
つまり、「実行できる」ことでも「説明できる」ことでもないんだよね。

はっきりととらえられたから、言語化できるってことでもない。
「わかる」ってそんなあいまいな言葉だと思うんだよね(^_-)-☆

であれば、そもそもあいまいなのであれば、すべてわかるって思ってしまっていいんじゃないかな(^^♪

そしたら、わかるっていうゾーンにいることができると思うんだよ。

言葉って便利なものなんだけどね、真意は伝わらない

どんな言葉であったとしても、真意までは伝わらないんだよね。
きっとすべての言葉は曖昧だから(^_-)-☆

おそらく人類の歴史の中で先に生まれていたのは音だと思うし、言語ではないと思うんだよ(^_-)-☆

その方が使っている言語の後ろには、様々な音と思い、真意、感情がついてくるはず。

だから、そこを慮りながら、コミュニケーションをとることが大事だと思う。
つまりは感性ってことになるんだけど(^_-)-☆

感性を鍛えるには、楽読がいいらしいよ(^_-)-☆

お金がないと嘆いているあなたへ

請求書を見てため息ついたり、財布の中を見てため息ついたり

お金!
まさに現代人の多くが向き合っているものではないでしょうか?多ければ多いで、誰かに奪われないかと心配して、頑丈な金庫を作ったり、無ければ無いで、ため息をついたり(^_-)-☆

大昔にはなかったもので、自分たちで生み出したものにも拘わらず、すごく振り回されてしまっている。

自分のやりたいことをやるかどうかの基準にすらなっていて、お金がないという理由だけで我慢を強いてしまうようになっていたりね(^^♪

もしかしたら、諦めの理由のためにお金が存在してしまっているのではないかと思ってしまうが如くだ(^^♪

引き寄せの法則を知ってしまったがゆえに

このところ私の周りでも「引き寄せの法則」を話す人たちが増えている(^_-)-☆活用して成功を収めている人もいる一方で、ジレンマに陥ってしまっている人もいる(^^♪

良いメンターがいて、相談相手がいる人は、そのステージを乗り越えることもできるのだろうけど、一人でもがいている人も結構いる。そして、そういう人に限って相談下手だったりする(^_-)-☆

実はこの相談下手っていうのは、運氣を下げることにつながるのだけど、それはまた別のブログにて書いてみようと思う(^^♪

話を元に戻すと、お金がない!って思うと、お金がないを引き寄せるから、お金がないって思っちゃだめだ!ってなっている人を見かける(^^♪

そういう人に限って、なんだか苦しそうに見えたりもする(^_-)-☆幸せになるための法則なはずなのに、一本「横棒」が抜けていて、辛そうだ。

魔法の言葉「但し」を活用してみよう

「但し」という言葉が非常に便利であるという事に気が付いたのは、昨年のことだった(^_-)-☆私のメンターの一人である方が、人の財布も自分の財布、人の喜び我が喜びっておっしゃられていた(^^♪

確かにその考え方であれば、お金がないっていう発想にはならない。無いどころか無制限だ(笑)そして、人の売り上げが上がれば、自分の売り上げが上がったかのようなので、嫉妬も何も起こらない。

この考え方は良いなと思って、実践し始めた。ただ、少し一足飛びのような気もしていた。より一般的に伝わりやすくできないだろうか?と。

そこでふと浮かんだのが「但し」という魔法の言葉だ(^_-)-☆どういう風に使うかというと、こんな感じだ(^_-)-☆

お金がない→お金はある、但し、名義が違うだけ(笑)

これだと、事実は変わらない(^^♪だけど、見えてる世界は変わるよね♪前者だとまるで世界にお金が無いように見えていたのが、後者は、自分のところだけに無いって思える(^_-)-☆

見えてる世界にはお金があるというように変わるわけだ。そして、この但し書きを小さくしていけば、お金があるって思えるようになるわけでね(^^♪

この方法で、臨時収入を手にした人もいるので、是非活用してもらいたいな(^_-)-☆

自惚れてる人ほど運氣が高いんじゃない?

自信がなかったり、自分の事が好きじゃなかったり

自分なんて…どうせ…
そんな言葉が口癖になってしまっている人を見かけることがある(^^♪
そういう人を見ると、以前の自分のことを思い出す(^_-)-☆

どうせ自分なんて価値なんてない…そう思って生きていた時期がそう遠くないときにあった(^_-)-☆

とはいっても10年以上前か(笑)

就職活動の際、特に何がしたいことがあったわけではない僕は、自宅の近くの大きな会社という理由で就職先を選んでいた(^^♪

もちろんわからないことだらけだし、目的・目標もないから身が入らない、失敗も重ねてしまうし、会社からの評価も低かった♪

どうせ自分なんて…同期と比較していつも思ってしまっていた(^_-)-☆
気が付いたら、人と話すことを極力避けるようになり、会社が終わると逃げるように帰宅していた(^^♪

もちろん自信が持てるわけもなく、自分のことは好きじゃなかった(^^♪

成果を上げている人は自信満々、自分が好き!

このところ僕がメンターと思ってお手本としている人を見ていると、10年前の僕とは全くの正反対(^^♪

自信満々だし、自分のことが大好きで、そんな大好きな自分を世の中のためにどう使おうかを考えているようにも見える(^^♪

自分で自分に惚れている、まさに自惚れているわけだ(^_-)-☆

例えば、あなたがラーメン屋さんに入ったとしよう(^^♪
そこの店主が、口癖のようにどうせ私なんて小さい男ですよ~とか言いながら、自信なさげにラーメンを提供してきたらどう思うだろうか?

おそらく、食べようとしないんじゃないかな~
仮に食べて、おいしかったとしても、微妙な気持ちにならないだろうか?

もし自信なく、自分のことが好きじゃないと思って生きている人は、おそらくこのラーメン店主と同じようなことをしてしまっていることになるんじゃないかな?

自惚れるのに根拠も理由も必要ない!

映画「グレイテスト・ショーマン」を見た(^^♪
あれは本当に名作だなと感じたので、多くの方に見ていただきたいのだが、あの映画に登場する、様々な理由で差別を受けながらも、サーカスという舞台で輝こうとしている人物だ(^_-)-☆

肌の色や障害などを理由に差別を受けていたわけだが、そこを乗り越えて、むしろそれらを武器として、自分たちで居場所を作っていく(^^♪

まさに感動だ(^^♪

実は、彼らは何かが変わったわけではない、肌の色も変えてないし、障害が治ったわけでもない(^^♪

ただただ居場所の中で、おそらく自分のこと、自分たちのことを受け入れて、好きになっていったんじゃないかなと感じている。

そう、何か理由があるから自信がもてるとか、好きになるってことじゃないんだと思う。

自信を持っていいんだよ、好きになっていいんだよっていう場所が必要なんじゃないかな(^^♪

そんな場所を改めて作りたい、そう思って今の楽読スクールをやってるんだよね♪
もし興味を持たれたら、一度、会いに来てくれたらうれしいな。

sokudoku-ibaraki.com

自分を責めるのを止めよう委員会

「なんで私ったらこんなことしてしまうんだろう」ってやつ

先日こんなことがありました♪
当初予定していた私が話をするイベントなんですが、別のイベントの関係で延期をせざるを得なくなりました。
主催の方には残念ではありますが、快く延期を引き受けてくださり、ありがたかったのですが、無理なブッキングをしてしまっていた自分を責めてしまいました(^^♪

なんで僕ったら、こんな予定の組み方をしてしまったんだろう…

そこから自分を責めるのが始まるのですが、正直、この自分を責めるのっていらないと思いません?

なんで自分で自分を責めてしまうんでしょうね?

自分で自分を責めることで、二度、傷つけている

もっと自分を大切にしませんか?もし、目の前で大好きな人が、同じようなことをしてしまっていたら、なんて声かけます?

「なんで、そんなことしてしまったんだよ!お前なんて最低だ!」

なんて声かけたりしますか?

少なくとも僕はしません。まあそんなこともあるさ、でね、おいしいランチの話しようぜ!って言ったりしますね(^_-)-☆

大好きな自分を、さらなる言葉で傷つけてしまってるんですよ、さっきの行為は(^_-)-☆

こういう方、結構見かけます。
特に、一人で頑張っている方に多いような気がしています(^^♪

やってしまった憤りを自分を責めることでしか解消できないのかもしれませんね。

自分を責めるのを止めよう委員会を作っています

ということで、委員会を立ち上げました(笑)
特に、まとまった活動があるわけではありませんが、自分を責めるのを止めようと宣言すればOKです(^_-)-☆

何かグループがあったりするわけではないので、各自で活動していただければOK

私自身はこの委員会を自分の中に作ってから、自分を責めようとすると、委員会が開かれて、そんなくだらないことは止めようという決議をしてくださります(^^♪

結局、自分で自分を責めていても、起こったことは変えられないし、エネルギーは下がるだけ、そう、悪い事しかないんですよ!

だから、こうやって少しポップなノリで、大好きな自分を守ってあげましょうね♪

こうやって自分の運氣も上げていけば、周囲の方にもいい運氣を届けられることまちがいなしでしょうね♪

太陽のような人格で生きてみよう(^_-)-☆

この人と話すといいことがあるよって言われたのさ

楽読という速読のインストラクターを生業として6年が経過しました(^_-)-☆
自分なりのスタイルというのをようやく確立してきたのかなあって実感をし始めているのですが、そう、それも運氣UPというスタイルで(^^♪

今日のレッスンでは、小学生と中学生が参加してくれていてね、子供のいない私としては、子育ての疑似体験、まあ親戚のおじさん気分を味合わせてもらっている(^^♪

一緒にレッスンを受けていた受講生様から、この人と話すといいことがあるよってお子様受講生に話しかけてくれたわけでね(^_-)-☆

まさしく、私と会った人は運氣が上がると決めて生き始めてみての結果なわけだ(^^♪

自分は不幸だと自分に打ち込んで生きていないだろうか?

一方で、病んでいたころの私を振り返ってみよう(^_-)-☆
10代から20代前半のころの私というと、悪いことが起こるとすべて世の中のせいにしていた。

大人が悪い、会社が悪い、先生が悪い、教育が悪い。。。and so on

完全に他責で生きてしまっていたわけだわ。中学校の卒業文集に至っては、日本の教育批判をぶちまけていたと記憶している(^_-)-☆

そう、自分の脳に対して、あまりにも無頓着だったわけで、自動再生機能を持つ脳に対して、自分はついていないと打ち込んでしまっていたのだ(^_-)-☆

当時の私は脳の自動再生機能というものを、もちろん知っていなかったもんだから、このついていない発言、他責な生き方は鬱状態と診断されるまで続いてしまった(^_-)-☆

で、今はというと太陽人格ってのを教わったのさ

太陽のような人格とはどういうものだろうか?

もちろん他責に生きてはいない。なんの見返りもなく、自ら作ったエネルギーを放出し、周囲に熱と光を届けている(^_-)-☆

結果、ある種太陽は神とあがめられ、悪い事してもお天道様はみているよ!なんて絶対善のような扱いを受けるまでになっている(^^♪

まあ、神とあがめられる必要はないだろうが、人間にとって、いや、すべての生命にとって、太陽とはなくてはならぬものだ♪

そんな太陽のように生きることが、一つの理想形なのかもしれない、そう感じている(^^♪

何の見返りも期待せずに、周囲に届けることは難しいことかもしれないが、運氣UPを願うことであれば、特段コストも時間もかからない♪

そう、手っ取り早いのだ(^^♪

太陽のように、周囲に運氣UPのエネルギーを届けてみようではないか(^_-)-☆

運氣UPとは軽くすることなのではないだろうか?

運氣UPしている人を見ていて感じること

運氣UPしている人を見ているとこういう人が多いなと感じる(^^♪
・笑顔で表情が軽い
・足取りが軽い
・ハイタッチするなどノリが軽い
・話の内容が軽い

そう、軽いのだ(^_-)-☆

逆に運氣の下がっている人は、何か重いものを感じさせる。それがスピリチュアル的には何かが憑いてますねってことになるのかもしれない(^^♪

実際にこんな方がいました。
俯き加減で、表情も固く、話す音は重く落ち気味に話している。しかも自分では気付いていないもんだから、質が悪い(^_-)-☆

重さは伝播してしまうものなんだろうな

地球には重力があり、黙っていても下に下に引っ張られるわけで、それはまるで下りのエスカレーターを昇るが如くである(^_-)-☆

なので、今、自分が軽いか重いかを自覚することがめちゃくちゃ大事だと思う。

だって、ただでさえ重いのに、さらに重くなっていては、周囲にも影響を与えかねないからだ。

まさに人の運氣をさげてしまうのだよ、えらいこっちゃだ(^_-)-☆

逆に、軽く生きている人は、周囲の人も軽くしてしまう(^^♪
私がぱっと思いつくのは、明石家さんまさん(^_-)-☆

彼にとっては、出演者の不倫問題なんかも笑いのネタになるわけで、結果、その芸人は救われる(^_-)-☆

笑いに転嫁されることで、ある種「祓い」のような効果があるのだと思う。

じゃあ軽く生きるにはどうしたらいいのかな?

これは簡単である!
軽く生きている人と一緒に過ごせばいいのだよ(笑)

もし私が芸人だったら、明石家さんまさんに弟子入りを希望するかもしれないし、食事に行こうと試みるでしょう(笑)

自分ひとりで軽く生きようというのは、そもそも難しいのだと思う。だって重力が働いてしまっているから。

芥川龍之介のクモの糸に出てくるカンダタも、一人で軽くなろうとして失敗したようなもんじゃないかな。

彼が、みんなと一緒に軽くなろうとしていたら、助かったことであろう(^_-)-☆

体重を軽くするには、一人で頑張るよりもみんなで取り組んだ方が軽くなるのと同じですよ(^_-)-☆